「歴女」などという流行語が生まれ、
戦国武将がブームになるなど、
このところ歴史に熱い視線が注がれています。
今回の「おもしろ京都学」は、
京都・滋賀で活躍した歴史上の数多くの人々から、
いま話題の人物にスポットを当てて、
ゆかりの地や逸話・伝説などをご紹介。
あわせて緑輝く京都の森の情報もご用意しました。
春からのお出かけにぜひご活用ください。
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浄土宗大本山の知恩院には古くから「知恩院の七不思議」が伝え継がれています。七つのうち、ウグイスの声に似た音が出る全長550メートルもの「鴬張りの廊下」、御影堂正面の軒裏にある「忘れ傘」、不思議な言い伝えがある「瓜生石」は、現在、見学可能です。一方、三門を造った大工の棟梁(とうりょう)夫婦の木像が納められた「白木の棺」、長さ2.5メートル、重さ約30キログラムの「大杓子」、いずれも狩野信政の作で、あまりに上手に描かれたばかりに雀が飛び去ったといわれる襖絵「抜け雀」と、どちらから見ても見る人をにらんでいる杉戸の絵「三方正面真向の猫」は、工事の関係で実物は非公開となっていることがあります。
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承元元年(1207年)、法然の弟子の安楽房と住蓮房が処刑され、法然・親鸞に流刑が言い渡されました。後鳥羽上皇による「承元の法難」です。当時、鹿ヶ谷に法然の念仏道場があり、住蓮房、安楽房が取り仕切っていました。ある日、二人を慕って松虫・鈴虫という御所の女官が訪ねてきます。後鳥羽上皇の留守中に御所を抜け出してきたのです。このことを知った上皇は「宮中を抜け出して、邪教にうつつを抜かした」と激怒、承元の法難が起こります。一説には、念仏の弾圧を狙った上皇が、二人の女管と青年僧の密通をでっちあげたともいわれています。鹿ヶ谷には、二人の青年僧の名をとった住蓮山安楽寺があります。
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一心に念仏を称えることですべての人々が救われるという「専修(せんじゅ)念仏」を確信すると、法然は比叡山を下りて念仏の教えを説き始めます。やがて、賀茂社の宮司に請われ、現在の相国寺の辺りにあった「賀茂の河原屋」という草庵で布教活動を行うようになります。法然の入寂後、賀茂の河原屋には弟子の源智上人が住み、御影堂を建立して念仏道場としました。この念仏道場が現在の百萬遍知恩寺の起源。「百萬遍」の号は、第八世の善阿上人が、疫病退散のために念仏を百万回唱え、後醍醐天皇から賜ったものだそうです。寺はその後、相国寺建立や度重なる火災によって幾度も移転、17世紀に現在の地に落ち着きます。
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法然は、建暦2年(1212年)正月25日、80歳で入寂し、弟子たちは今の知恩院の場所にあった禅房のかたわらに墳墓を作りました。しかし、比叡山の僧兵によって墳墓が荒らされそうになったため、亡骸は密かに嵯峨、さらに太秦の広隆寺へと移されます。翌日の夜、法然の石棺からはまばゆい光明が発せられて、南西方向にある西山の粟生野を照らしました。粟生野には、法然の弟子であり、源平の戦いで知られる熊谷次郎直実(蓮生)が開いた念仏三昧堂があったのです。亡骸は粟生野で荼毘に付され、廟堂が建てられました。この不思議な出来事を聞いた四条天皇は、念仏三昧堂に「光明寺」の名を与えられたそうです。
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豊臣秀吉の側室となる長女・茶々(淀殿)、京極高次に嫁ぐ次女・お初(常高院)、三度目の結婚で徳川秀忠に嫁ぐ三女・お江(ごう)(崇源院)。戦国大名・浅井(あざい)長政の3人の娘たちは、それぞれが波瀾の生涯を送りました。
彼女たちの故郷・長浜では、ドラマの放映開始に合わせて「江・浅井三姉妹博覧会」がスタート。映像や豪華な衣裳などを揃えて大河ドラマを紹介する「浅井・江のドラマ館」、父・浅井長政の居城・小谷(おだに)城を映像や展示で紹介する「小谷・江のふるさと館」、現在まで50作に至る大河ドラマの歴史を紹介する「長浜黒壁・歴史ドラマ50作館」という3つの会場を中心に、年末までのロングランで多彩な催しが展開されています。
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三姉妹は父・浅井長政の居城「小谷城」で生まれ、幼い頃をすごします。しかし、天正元年(1573年)、織田信長の攻撃により落城。父と祖父・浅井久政を失った三姉妹は、母・お市の実家である織田家、つまり父の仇の家に身を寄せなければならなくなります。
城が築かれていた小谷山には、今も石垣など当時の城郭跡が残り、大河ドラマのロケ地になっています。また、山麓には「小谷城戦国歴史資料館」があります。博覧会の期間中は、「小谷・江のふるさと館」から小谷山中腹の番所跡までシャトルバスが運行。「語り部」によるロケ地や城跡のガイドが楽しめます。
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浅井家の存亡とその後の三姉妹の運命を決定したといわれているのが、元亀元年(1570年)の「姉川の合戦」です。浅井長政・朝倉景健(かげたけ)の連合軍と織田・徳川連合軍が、姉川を挟んで、壮絶な戦いを繰り広げました。戦には織田・徳川軍が勝利しましたが、死者は浅井・朝倉軍で1800人、織田・徳川軍で800人、負傷者はその3倍ともいわれ、付近に残る「血原(ちはら)」「血川(ちかわ)」という地名が激戦ぶりを伝えます。
姉川の合戦場の付近には、現在は供養塔が立てられています。また、周辺には「浅井民族歴史資料館」があり、浅井氏の歴史や旧浅井町の伝統産業である養蚕、鍛冶の歴史などにふれることができます。
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信長が小谷城を攻めたとき、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、落城直前の城から三姉妹と母のお市を救い出したといわれています。戦の後、浅井氏の領地の大半を与えられた藤吉郎は羽柴秀吉と名乗り、今浜(いまはま)(後の長浜)に城を築きます。現在の長浜城は、昭和58年に再建されたものですが、市内にある大通寺の台所門や知善院の表門は、長浜城の遺構といわれています。
秀吉が初めて一国一城の主となった長浜には、今もその影響が色濃く残っています。桜の時季に行なわれる「長浜曳山まつり」もその一つ。源義家の凱旋の様子を表した「太刀渡り」という行列を、秀吉が町衆に行なわせたことが始まりといわれています。
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賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内に広がる糺(ただす)の森は、賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、東京ドームのおよそ3倍の面積があります。平安京が造営される以前の京都の森林の様子を今に伝えているといわれ、『源氏物語』や『枕草子』にも登場。1994年、神社全域がユネスコの世界遺産に登録されています。また、「鴨の七不思議」と呼ばれる言い伝えがあり、3本のサカキのうち2本の幹が繋がっている「連理(れんり)の賢木(さかき)」、夏の土用の頃に泡が湧き、その様子からみたらし団子が考案されたといわれる「みたらし池」、どんな樹木でもヒイラギのようにのこぎり型の葉になるという「何でも柊」などが知られています。
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法然院は、浄土宗の開祖・法然の草庵を起源とする寺院で、1680年に現在の本堂が建立されたと伝えられています。境内の西側には、東山三十六峰のひとつ・大文字山の山麓にかけて、シイ、ヤブツバキなどの照葉樹林が広がり、モリアオガエル、キツネ、イノシシなどが生息。ムササビ、テンなども見られるそうです。こうした自然環境を活かし、自然と人間との関わりを考えるために設けられたのが「法然院森のセンター(共生き堂)」。”自然はともだち“をテーマに、子どもたちによる環境学習、自然観察会やセミナー、幼児から大人までが参加できる自然体験プログラムなどが実施されています。
■知恩院
京都市東山区林下町400 TEL.075-531-2111(代)
交通/市バス「知恩院前」下車徒歩5分、京阪「祇園四条」下車徒歩10分
■光明寺
長岡京市粟生西条ノ内26-1 TEL.075-955-0002
交通/阪急バス「旭が丘ホーム前」下車徒歩4分
■住蓮山安楽寺
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21 TEL.075-771-5360
交通/市バス「真如堂前」下車徒歩10分
■百萬遍知恩寺
京都市左京区田中門前町103 TEL.075-781-9171
交通/市バス「百万遍」下車すぐ
■江・浅井三姉妹博覧会
◎浅井・江のドラマ館/長浜市内保町2843
◎小谷・江のふるさと館/長浜市湖北町伊部757-1
◎長浜黒壁・歴史ドラマ50作館/長浜市元浜町13-31
開館時間はいずれも9:00~17:00
交通/イベント期間中はJR「長浜」と各会場を結ぶシャトルバスが運行されます。
問い合わせ/江・浅井三姉妹博覧会実行委員会TEL.0749-63-5341
■姉川古戦場
長浜市三田町、野村町
交通/湖国バス「野村橋」下車徒歩5分
■浅井民族歴史資料館
長浜市大依町528 TEL.0749-74-0101
開館時間/9:00~16:30 月曜休館(祝日の場合は翌日休館)
交通/近江鉄道バス「プラザふくらの森下車」徒歩15分
■小谷城跡
長浜市湖北町伊部
交通/小谷・江のふるさと館からシャトルバス。または、JR「河毛」下車・湖北町コミュニティーバス「小谷城址口」下車
■長浜城(長浜城歴史博物館)
長浜市公園町10-10 TEL.0749-63-4611
交通/JR「長浜」下車徒歩5分
■長浜市曳山博物館
長浜市元浜町 14-8 TEL.0749-65-3300
開館時間 :9:00~17:00(入館16:30まで)
交通/JR「長浜」下車徒歩7分
■糺の森(下鴨神社)
京都市左京区下鴨泉川町
交通/市バス「糺ノ森」または「下鴨神社前」下車すぐ
■法然院森のセンター
京都市左京区鹿ケ谷法然院町72-2 TEL.075-752-4582
開館時間/10:00~17:00
交通/市バス「浄土寺」下車徒歩10分。または、「南田町」下車徒歩5分